小学校3年生から外国語活動が始まり,英語学習の開始年齢は徐々に早期化しています。
英語学習はその開始年齢が低ければ低いほど習得しやすいということはよく言われていますが,本当なのでしょうか。
この記事では低年齢からの英語英才教育について賛成,反対の意見が両者をご紹介します。
小学生からの英語英才教育に賛成!言語学習は脳が柔らかいうちに!
早期英語教育に賛成する人々の意見は,元をたどっていくと「脳が柔らかい子供の時に英語を勉強したほうがよい」ということにだいたい集約されます。
主な意見は大きく次の二つに分かれます。
英語の正しい発音は大人になってからでは身につかない
小さいころからサッカーを始めた子供のほうが中学生の部活からサッカーを始める子供よりもサッカーがうまいのと同じように,英語の発音も体の一部分(つまり口周辺)の筋肉の動かし方によって決まるわけですから,早い時に始めた方がよいということです。
これはかなり説得力のある意見です。
ただし,これは幼少期のスポーツは子供が結果や失敗を気にせずに純粋に楽しんだ結果、身についた技術であるとも言えます。
英語の発音においても同様に,子供が結果や失敗を気にせずに楽しんで英語を話せる状況を作ってあげることが重要です。
日本語を習得した後では他言語の習得には時間がかかる
「母語干渉」や「ネガティブ・トランスファー」と呼ばれることですが,日本語が脳の中でいったん確立してしまうと,日本語には無い発音や,日本語とは違う概念ではたらく言葉などの習得において,ネガティブな影響をもたらすということです。
例えばよく言われるのは,”r”と”l”の発音の聞き分けができなかったり,”n”を発音するときに日本語の「ン」を使用してしまうことなどがあります。
否定疑問文に対する受け答えも日本人の苦手とするところです。
“Don’t you like vegetables?”に日本語で「はい(嫌いです)。」と答えたい場合,英語では “No, I don’t.”です。
ついつい,”Yes,I do”と,日本語の「はい(嫌いです)。」と同じ構造で答えがちですが,正解は全く逆です。
ある二つの言語がどれだけ違うかを「言語間距離」といいますが,日本語と英語は言語間距離が比較的遠いため,この母語干渉が起きやすい学習環境と言えます。
したがって,日本語を習得する前に英語を脳に入れてしまえという意見には一定の説得力があります。
小学生からの英語英才教育に反対!:英語の勉強より優先すべきことがある
子供の幼少時より英語教育を行うことに否定的な人がよく言うことに,「日本語を習得する前に英語を勉強してしまうとどちらも中途半端になってしまう。」という主張があります。
国際結婚されたカップルの子供が幼少期より2つの言語に触れ,両方の言語を共に母国語のように使いこなし,論理的な意見を述べることができるバイリンガルは世界中にたくさんいます。
日本人だけがそれをできないということはありませんので,この主張について筆者個人としては,賛同しかねます。
小学生低学年からの英語教育に反対する意見として,筆者が「説得力があるな」と感じる意見は次の2点です。
早期英語教育は日本人としてのアイデンティティに悪影響を及ぼす
言語と文化は,切っても切り離せないもので,言語を否定されることはその文化や背景を否定されることにつながります。
自分の考えや判断力がつかないうちから英語の英才教育を受けると,その子供の中で,「日本語と日本文化は,英語と英米文化に劣るものだ」という意識が無意識のうちに芽生えてしまうということです。
もちろん,劣等感という副産物が付随したとしても,それでもやはり英語は話せた方がよいという親御さんもいるかもしれません。
しかし,世界で活躍する国際人はみな自国に誇りをもっており,多くの場合自分の国に危機感は持っていても劣等感は持っていないものです。
一方で日本人の多くは欧米コンプレックスを持っている人が比較的多く,低年齢からの英語教育はこれを助長しかねないとの意見です。
幼少期の英語教育は,自国の文化と異文化理解と合わせて進める必要があると考えられます。
英語を流暢に話せるだけではスタートラインに立てるだけ
国内経済の量的な縮小が避けられない日本の企業は海外に活路を求めます。
そこでビジネスを行うために英語が使えることはもはやビジネスマナーと言っても過言ではない状況です。
実は,幼少期から必死に英語を勉強して話せるようになっても、グローバルなビジネス社会では英語が出来るのは「当然のこと」として見られます。
しかしそこにいる英語話者のうち,英語を母語とするネイティブスピーカーは全体の2割程度と言われています。
残りの8割は,正確な発音や正しい文法体系とは異なる英語を話しているわけです。
ここで話される英語は『グロービッシュ』とも言われます。
反対派の主張としては,英語は正確にぺらぺらと話せる必要は無く『グロービッシュ』でも問題ないのだから、幼少期にあえて英語に縛り付ける必要はないのではないか?ということです。
英語を学ぶ代わりに,個性や性格,価値観が形作られる幼少期には,母語での思考力を中心とした,AIに負けない人間の力をつけることに集中すべきだと主張するのです。
まとめ
早期英語教育に賛成派と反対派の意見はそれぞれに説得力があります。
だからこそ,今でもなお議論が収斂しないのでしょう。
子供に英語の英才教育を熱心にな保護者には,「自分はもう英語を習得できない」「だからせめて子供には!」,と子供に期待を押し付けがちな面もあります。
「英語ができれば全てうまくいく」というのは英語ができない人が抱く憧れであり勘違いですが,まったく英語ができないと,国際社会においてはスタートラインにすら立てないという,なかなか難しい時代です。
しかしいずれにしても英語を学ぶ意欲は子供自身からしか出てこないものです。
保護者にとって重要なことは,早期から英語教育を始めるにしてもしないにしても,子供が楽しんで英語を学ぶことができているかに気を配ってあげることではないでしょうか。