小学校3年生から英語が教科化されたことにより、幼児期からの英語教育に注目が集まっています。
英語教育に熱心なご家庭の中には、子供が0歳のときから通信教育教材を用いて英語に触れさせるなど、早期英語教育に積極的な親が増えてきています。
一方そのような状況に強く警鐘を鳴らす反対派の意見も少なくありません。
子供への早期英語教育について否定的な意見もある中で、早期英語学習賛成派は、何故物心付く前から英語を教えようとするのでしょうか。
この記事では、幼少期からの早期英語教育反対派の意見に対する反論についてご紹介します。
早期英語教育に反対する人の主な主張
早期英語教育に賛成する意見を紹介する前に、まず反対派の代表的な意見を確認してみましょう。
早期英語教育に否定的な人たちの代表的な意見の一つに、「自分で思考するための言語が固まらないうちから複数の言語を学習すると、そのどちらも中途半端になり、英語教育よりも重視すべき教育がある」というものがあります。
英語が話せるようになったところで、話す内容が薄っぺらいものだったら話せる意味がないということです。
加えて表面上だけの英語でのコミュニケーションは、これからの時代AIの即時機械翻訳に代替され、英語を話せるだけの能力の価値は下がり、結局は英語で何ができるかが重要になると主張しています。
要するに、貴重な幼児期の時間を、英語を習得するためだけに消費すべきではないということが反対派の主張です。
幼児の早期英語教育反対派は何故幼少期からの英語学習に否定的なのか?
逆に言えば、幼少期から英語教育を行っても思考力を養うことができれば、早期英語教育に問題はないということになります。
子供への早期英語教育は思考力も同時に育成できるのか?
結論から申し上げると、幼児期から英語を学習しても、英語力を身につけながら、思考力も同時に身につけることは可能です。
反対派の主張には説得力があるようも思えますが、この考え方には「英語教育では子供の思考力や感性など、数値では測れない非認知能力を育成できない」という前提があります。
たしかに自分の頭で考え、判断し、自分の言葉で伝えるということが、AIに代替されない能力として今後最も重要視されてくる能力であることは疑いようのない事実です。
とはいえ、この能力の育成と、英語の力の育成は決して相反するものではありませんので、英語教育の中で、同時に、思考力等の能力を育成してあげることは可能なはずです。
単一言語社会のほうが世界的には珍しい
そもそも、習得する言語が1つに限定されることが前提となっていることにも疑問があります。
日本では家庭での使用言語が日本語に限定されるケースがほぼすべてを占めていますが、世界を見渡すとそうではない国も数多くあります。
特にヨーロッパでは多文化・多人種が入り乱れて生活しており、国際結婚も珍しくありません。
そういった夫婦の中にはそれぞれの母国語が違うことも往々にしてあります。
そういった夫婦の子供は、片方の言語習得が中途半端になり、思考力や感性、つまり非認知能力に欠けることになるのでしょうか。
そうゆうことはないはずです。
むしろ、両親のどちらともとコミュニケーションを取りたいという欲求が、2つの言語を習得するモチベーションとなり、自然とバイリンガルに育つケースのほうが大多数です。
また、国家を上げて英語教育に強い力を入れている国では、その国の母国語に加え、英語が広く浸透している国も多くあります。
例えば発達著しいシンガポールでは、母国語は中国語やマレー語だったりしますが、英語が公用語とされております。
インドや南アフリカも同様で、これらの国々の教育水準の高い家庭に生まれた子供たちには、幼少期から複数の言語学習をさせるのは一般的であり、世界で活躍する優秀な人材に育っている人が多いです。
もちろん、日本とは言語環境、地域環境等がまったく違うのでそれらの国と同一視することは決してできません。
しかしながら、幼児期に英語教育は行わず、非認知能力を育てることに集中すべきという意見が完全に正しいとは言い切れない例として有効な事例でしょう。
まとめ
幼少期からの英語教育について、この記事では早期英語教育反対派の意見に対する、肯定派の反論についてしょうかいしました。
限りある貴重な幼少期を英語教育に投資するのには本当に価値があるのか?
この問に対して資本主義的合理性の観点から解答を導き出すことも重要ではありますが、英語教育で身につくものが英語力だけにとどまることはないはずです。
幼少期の子供は、スポンジのように何でも学習します。
英語でもそれ以外の能力でも吸収できる大きな器を持っていますので、どちらか一方と取捨選択することなく、楽しみながら両方学ばせてあげて、その吸収力自体を高めてあげることが良いのではないでしょうか。
なお、幼少期から英語教育を実施するのであれば、その目的をはっきりさせておく必要があります。
英語が話せることも、非認知能力があることも両方とも人生を豊かに生きる上で重要な要素です。
一方で、それらの能力を偏差値の高い大学に入学したり、大企業に就職するためだけの能力と捉えてしまうと、本来の人間的豊かさからは離れてしまうことになりかねません。
英語にしてもそれ以外の能力にしても、目先の結果を追い求めるのではなく、「豊かな人生を送るための基礎作り」と捉えるのがを気づくために楽しみながら教えてあげられるとよいですね。